東日本大震災 医療支援の記録
第一回宮城県南三陸町医療支援(2011年3月20日〜)
3月20日から被災地への医療支援のため宮城県南三陸町に行ってきました。助かった命が失われていっているとの報道に何かできればとの思いで、神奈川県医師会からの派遣として支援に向かいました。自分の車に医薬品を始め、衣食住、全てのものを積みこみ自分と2人の仲間の3人チームで現地に入りました。今回の医療支援は、Facebook,twitterでドライバーを募集したりと、多くの方の協力があり実現しました。本当にありがとうございました。
現地では、まだ医療支援のなかった入谷公民館で仮設の診療所を設置させてもらいました。診療の合間には、手がつけられていなかった訪問診療もさせていただきました。ほとんどが大学病院など大きな病院からの支援チームで、診療所からの支援は自分だけだったので、日常、行なっている往診の経験をいかす事ができました。現地では避難所に避難している方達以上に、地震での被害を免れた家庭、特に寝たきりなどの介護が必要な方と一緒に住んでいる家庭が情報も全くなく孤立してしまい、いつ来るかも分からない訪問診療が来るのを待つのみといった状況でした。
暗い話の多い中、藤沢市の伝統工芸「片瀬こま」を避難所の小学生に寄贈し、本当に喜んでもらいました。現地でも子供達の笑顔から、たくさんの元気をもらいました。どこに行っても子供は元気です!!
がんばれ、被災地!! がんばれろう、日本!!
被災地での活動などをtwitter(Sakai_clinic), Facebook(Sakai Taro)で報告しています。現地からも投稿しています。
現地での支援活動を
・鎌倉ケーブルテレビ(JCN鎌倉)ニュース 7DAYSデイリー(3月25日 17:10放送終了)
・テレビ神奈川(TVK ) NEW ERIDAY(スタジオ生出演 3月25日 21:30放送終了)
・NHKスペシャル「最新報告”命”の物資を被災地へ」(3月27日 21:00放送終了)
・CATVジェイコム湘南 ふじさわ情報ナビ(5月1日から10日まで放送)
で報告せていただきました。テレビを見てくださった方々ありがとうございまました。
また、
・3月26日読売新聞夕刊に現地での取材記事が「看護の手、届かない」
・4月25日発行広報ふじさわ「被災地の不安と笑顔 ボランティアの医師が出会ったもの」
・5月1日発行鎌倉朝日「がんばる被災地の人たちの元気に感動」
というタイトルで掲載されました。
読売新聞夕刊の要約は下記のURLでみることができます。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110326-OYT1T00423.htm
鎌倉ケーブルテレビ(JCN鎌倉)のニュースは下記のURLで見る事が可能です。
http://www.kamakuratv.com/local_info/topics/detail/1239179_17549.html
広報ふじさわ「被災地の不安と笑顔 ボランティアの医師が出会ったもの」は下記のURLでHTML版を見る事ができます。
http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/kouhou/khf110425/hiroba01.html
鎌倉朝日5月1日号7面
http://www.kamakura-asahi.com/
僕が行った南三陸町地区では、全壊した公立志津川病院のスタッフ、被災者の皆さんが本当にがんばっています。現地では、まだ、まだやらなければいけない事はたくさんありました。戻ってきてからできることは、一人でも多くの方に現地の様子、医療支援の実際を少しでも多くの人に知ってもらえればと思います。
第二回宮城県南三陸町医療支援(2011年5月1日〜)
5月1日から再び医療支援のため宮城県南三陸町に行ってきました。今回も3人チームで行きました。南三陸町もほとんどの場所では電気も復旧し、前回のような緊張感も現地にはなく、医療支援の災害医療の終息と現地医療機関の再開との移行期に入っていました。
ベイサイドアリーナ前にて、イスラエルの医療チームが残したプレハブで仮設の公立志津川病院が診療を始めており、徐々にそちらに患者さんを集約していくとのことで、多少の混乱はあるものの比較的スムーズに移行が行なわれてる感じでした。今回は、ベイサイドアリーナの避難所に泊まり、この地区の夜間診療をさせていただきました。前回、一緒に働いた先生や看護師の方達と再開することができました。皆さん地元である被災地を一生懸命支えていました。
今後は、震災前のように患者さんがかかりつけの病院や診療所ににかかるといった体制が早く確立すればと願っています。
ただ、ブルーシートで覆われ穴を掘っただけのトイレなど衛生環境やおにぎり2個、若鶏のくんせいのおつまみとオレンジ1個といった食事内容は40日前と変わっておらずショックでした。
今後、最大の避難所であるベイサイドアリーナの閉鎖、2次避難所への避難など避難所の集約が行なわれ、避難している方達の生活環境が良く変わって行く事を切に願います。
前回、帰ってきてから色々なところで「自分も何かしたいが、何をして良いか分からない」といったお話をたくさん聞きました。今回は、「どんな小さな想いでも、必ず被災地の役に立ち、現地の人たちの笑顔に繋がる」ということを伝えたく、色々な人の想いを一緒に持って行きました。現地で受け取ってくれる人を捜した物も多く、色々な人の協力で全ての想いを笑顔に代える事ができました。人と人との繋がりに感謝。
No 1 FM横浜などでパーソナリティをつとめる齊藤美絵さんと御成商店街の方達が南三陸町から頼まれて集めたお線香とろうそくを町役場の高橋さんに届けました。http://instagr.am/p/DxTIH/http://instagr.am/p/DyRte/
No 2
清泉小学校の2年生が「自分たちも何かしたいとのこと」で被災地の小学校のために作った「鯉のぼり」を南三陸町立入谷小学校の工藤教頭先生に届けました。http://instagr.am/p/DyS3F/
No 3 4月24日に近所の子供達と一緒に南三陸町への募金活動をしていた時に、3月の医療支援でお世話になった現地の看護師さんからお菓子が届きました。その時は本当に申し訳ない思いでいっぱいでした。そのお礼として僕から、現地の看護師さんたちに「鳩サブレ」を届けました。http://instagr.am/p/DyTMm/
No 4 前回の支援の様子を放送していただいたNHKスペシャルの方から、一緒に映っていた地元の訪問看護師の方へ放送のDVDを預かっていました。当時は電気もなく自分では見ていないとの事でDVDを届けました。http://instagr.am/p/DyTpE/
No 5 くりの木クラブの岩立直子さん(小・中の同級生)から預かったたくさんの風船を避難所の子供達に届けました。教えるつもりが、逆に教えてもらい、トイプードルまで作ってもらいました。http://instagr.am/p/Dzs4N/http://instagr.am/p/DzsUo/
No 6 花や動物、子どもたちがすくすく育つことを願う銀の鈴社が集めた「手作りバッグ」を津波で全壊し、日本ユニセフの支援を受けベイサイドアリーナの隣に再建予定のあさひ幼稚園の遠藤先生にお渡しました。建設予定地も一緒に見させていただきましたが、先生には新しい幼稚園の建物や子供達の遊ぶ姿が見えているようで「希望です」と話していらっしゃいました。http://instagr.am/p/Dzz3U/
No 7 ご家族が在宅医療を受けながら先月、亡くなったというご家族から使わずに残った医療資材を使ってもらえればと預かりました。りあす在宅訪問看護ステーションのスタッフにお渡ししました。http://instagr.am/p/D14OW/
No 8 湘南ふじさわシニアネットの方達から片瀬こまを預かってきました。今後、行なわれる町内のお祭りなどで使っていただけるとの事でお渡ししてきました。
No 9 僕も作るのを少し手伝ったKamakura pray projectの方達から、鎌倉からの祈りの若草リボンを現地で支援などで入っている方達に主旨を説明し、つけていただきました。鎌倉からの思いを被災地に届けました。http://instagr.am/p/DzQc-/http://instagr.am/p/D0BzV/http://instagr.am/p/D1Jfh/
No 10 最後に前回、支援から戻り報道されている事と僕が見た現実の違いに少しとまどいました。僕がテレビなどに出させてもらっても言葉が軽く感じられました。見た事を全て伝える事はできませんが、もう少し深く現地の様子を伝えて欲しいとの思いを強く持つようになりました。今回、僕のチームにテレビ関係の方を入れ、現地の人たちの思いを報道に届けたいとの思いから、4日間寝起きまで一緒にしてもらいました。現地の生の声を聞いてもらえたと思います。http://instagr.am/p/D23Ax/
No 11 メーカーの方から化粧品などを支援したいのですがという相談をいただき、とりあえず化粧水、乳液などのサンプルをたくさん預かりました。現地の看護師さんに見せた所、そういう支援はないとのことで避難所などで使ってもらう事になりました。今後、必要があればサンプルではなく化粧品自体を継続的に支援していただく予定です。
今回の医療支援に関連した特集をテレビ神奈川(TVK)5月12日、13日夜9時30分からのニュース930にて二日間連続で特集をしていただきました。13日はスタジオに生出演させていただきました。見ていただいた方からたくさんのご報告をいただきました。ありがとうございます。一人でも多くの方々に神奈川から支援に入っている方々がたくさんいる事、現地の医療支援を支えている現地の医療機関の方々も被災者である事を知っていただければと思います。
5月14日の神奈川新聞に今回の医療支援に関連した記事「鎌倉の医師が震災被災地で医療支援、ニーズ変化に「現地の負担軽減を」が掲載されました。記事のURLは以下です。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1105140026/
かまくら春秋6月号に池田雅之先生との対談記事「鎌倉・湘南人國記「被災地から届けられた『贈り物』・酒井太郎」が掲載されました。かまくら春秋6月号No.494
藤沢市の小学生向け広報 キッズ広報まつぼっくり7月号の特集「がんばろう 日本」に「ボランティアに行った人のおなはし 医師・酒井さんのお話」が掲載されました。
http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/khmb1107/tokusyu.html
鎌倉市立第二中学校PTA広報誌Harmonie 2011 vol.2の「特集 これからの防災 今できること」に今、私たちにできること 「被災地からもらった贈り物」を寄稿させていただきました。
獨協医科大学 同窓会新報第34号 平成23年7月27日発行に「東日本大震災医療支援にて宮城県南三陸町に行って」を寄稿させていただきました。
鎌倉市第一地区 社協だより 平成23年8月発行 第15号に「被災地からの贈り物」を寄稿させていただきました。
二度の医療支援を終えて1ヶ月たって思う事
今、思えば、今回の支援は、被災地のためでなく自分のための活動でした。自分の本能が、何かせずにはいられなかったのだと思います。他の人の役に立ちたいという医者として日頃から思っている本能を満足させるため、自分自身を満足させるための活動だったと思います。人のためと思ったらできなかったかもしれません。現地では、支援に行った僕の方が励まされ、勇気や元気、仲間など多くの人生の贈り物をいただきました。本当に感謝しています。被災地では、今だ電気、ガス、水道などのライフラインが復旧していない所も多く、大変な生活が続いています。今後も自分にできる事で地域の方達と一緒に長期的に支援していければと思っています。2011年6月