2022年新春特別寄稿
鶴岡八幡宮前の銭湯に生まれ育ち、コロナ禍に思うこと
鶴岡八幡宮社報「鶴岡」134号
鶴岡八幡宮から通じる参道、若宮大路の八幡宮にほど近い場所にあった銭湯「松の湯」。八幡宮との関わりといえば、平成3年御鎮座八百年記念の奉納大相撲鶴岡場所が執り行われた際に、相撲を終えた力士たちが汗を流すためのお風呂として利用してもらったことがあります。力士たちが若宮大路を銭湯まで歩いてきたことは、今でも地元の方たちの語りぐさになっていて嬉しいかぎりです。
そんな、祖父母がやっていた銭湯「松の湯」に生まれた私は、お宮参りで初めて鶴岡八幡宮を訪れ、現在は産業医と鶴岡幼稚園の園医をさせていただき、半世紀ちょっとのお付き合いになります。
物心ついた頃から、私の毎日の遊び場は、八幡宮の源平池の周りなどの境内でした。今では渡れなくなってしまった太鼓橋を滑り落ちないように一人で渡れるようになるまで繰り返し登ったり、源平池や境内の水路にいたザリガニを捕まえたり、夜間に森にいたフクロウやコウモリを観察に行ったりと思い出をあげるときりがありません。鶴岡幼稚園の園児だった時には、幼稚園に行きたくないと言って、先生を困らせ逃げ回り、池のほとりの木の陰に1日中隠れていたのも良い思い出です。
毎日、我が家の銭湯「松の湯」を、この地域に住むたくさんの皆さんが利用してくれ、銭湯に来る方たちから色々なことを教えてもらいました。銭湯という所は、子供から大人まで年齢や職業も関係なく、たまたま同じ時間に来た人たちが、一緒になり時間を共有します。そこでは町内の話から国際的な話まで、お年寄りからは過去の戦争の話などを聞かされ、正に裸の付き合いができる場所でした。「ごちそうさま」と笑顔で帰っていくのを見るのも子供ながらに好きでした。
銭湯で初めて会った人も、その後、町で会えば「こんにちは」と声をかける関係になり、銭湯を中心にコミュニティが形成され、いつも同じ時間に来る人が来ないと心配して誰かが見に行き、体調が悪いと知れば、果物を届けたりといったことも当たり前のようにしていました。
学校の授業よりも毎日、銭湯に来たお客さんから聞く、学校では絶対に聞けない話が楽しみでした。高校生になると、少し年上の銭湯に来たお客さん達と銭湯が終わってから深夜まで麻雀をし、そこで社会を学びました。
こんな環境で成長した私なので、今の私を形成してきたのは、学校教育より銭湯教育のおかげだったと自負しています。私にも子供がいますが、今は知らない大人と子供が一緒に会話するという機会はほとんどなく、非常に恵まれた環境で私は育ちました。
医学部への進学が決まった時、銭湯に来ているみんなが一緒に喜んでくれたのが、本当に嬉しかったのを覚えています。そんな周りの多くの人たちの手で育てられた私だったので、自然に将来は、自分が地元へ恩返しすると思っていました。
医学部を卒業してから、大学病院やアメリカでの5年間の勤務を経て、平成20年に地元鎌倉に戻り、雪ノ下でさかい内科・胃腸科クリニックを開院しました。鎌倉に戻ってきてからは、地元のかかりつけ医として診療をしながら、10年前におきた東日本大震災、5年前におきた熊本地震でも発生直後に医療支援に行かせてもらいました。東北へは今でも年数回、訪問させてもらっています。
そして、まだ誰も現在の新型コロナウィルス感染症拡大を予想していなかった昨年2月、新型コロナウイルス感染症が広がるクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に入港するとのことで、迷わず医療支援に行きました。その頃は、今のようにウイルスの正確な情報もなく、誰が感染しているかも分からず混乱するクルーズ船内での医療活動で、英語を話せない乗客もいたりと今までの医療支援とは違った大変さを経験しました。
その後の世界中での感染拡大は皆さんもご存知の通りです。新型コロナウィルスの感染拡大が始まって、早くも1年半が過ぎました。感染対策として、対面活動の縮小や中止、リモートやオンラインの拡大など、新型コロナウイルスは、多くの人の生活を変えてきました。その結果、これらの変化により自宅に引きこもりがちになり、外の世界との接点がなくなってしまいました。精神的に追い込まれる人も増え、コロナ禍になり自殺者が増え、虐待を受ける人も増えているといわれています。当院へ通院している患者さんでも、糖尿病や高血圧などの生活習慣病が悪化してしまった人も多くいます。健康診断や病院への受診を控えることで、がんなどの病気が進行してしまう人も、増えてくることが予測されます。
健康とは何でしょうか、広辞苑には「身体に悪いところがなく心身すこやかなこと」とあります。コロナウイルスに感染しなくても、他の病気で健康を害してしまっては、何のための対策か分からなくなってしまいます。
この第五波では、近くで自宅療養の人が亡くなってしまったり、老老介護の高齢者が感染しても、介護を続けざるを得ず家族に感染を広げてしまう現実も経験しました。自宅療養者から食料が足りないという相談もありました。
こういったことは、地域に銭湯コミュニティのようなものが残っていれば、少しは防げたのではないかと思っています。
ここ数十年で、暮らしが便利になった反面、社会の分断は加速し、情報化社会の中で、想像力が失われ他者と対話をしなくなってしまいました。コロナ前から、不安を抱えている人が増えていた所に、新型コロナ感染拡大が起き、その「不安」が大きく拡大したように感じます。自粛警察と呼ばれた人や他人の行動に対し攻撃する人の背景にも「不安」があると思います。コロナは、新しい問題を起こしているのではなく、潜在的にあった問題を露呈させているだけなのかもしれません。9月末現在、新型コロナウイルス感染症は終息しておらず、今後も経済的にも精神的にも困難を抱える人は増えていくことが予想されます。
私自身もできることをやろうと思い、私財で母校の神奈川県立七里ガ浜高校の在校生に奨学金を支給するための財団法人なぎさ奨学会を設立し、今年から支給を始めました。
困った時に助け合う共助、ともに助け合う社会の輪をもう一度見直し、相手の立場になって想像してみましょう。共感するだけでなく、思いやりを持った行動をとることが大切だと感じています。日本人の特徴である遠慮は脇に置き、困っていたら声を上げることも大切です。困っているときはお互い様です。きっと誰かが手を差し出してくれるでしょう。
コロナ感染者に対しても、みんなで支え合い、「治って良かったね」と大きな声で言い合える社会になることを、八幡宮の神様にお願いしています。
写真の説明
①鶴岡幼稚園卒園記念
②若宮大路にあった我が家「松の湯」
③クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号